松本聡香、読み方は「さとか」、本名は?大学は?画像は?ツイッターは?記者会見?

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オウム真理教の松本聡香について調べてみた。

ペンネーム 松本聡香(さとか)は、松本智津夫元死刑囚(執行時63=教祖名麻原彰晃)の四女。

 

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松本聡香の本名は?読み方は?さとか

四女が使っている松本聡香はペンネームです。

聡香の読み方は「さとか」です。

本名は不明です。

 私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~

松本聡香は

「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~」

という本を出しています。

 

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松本宇未は誰?、ブログ、ツイッター、松本麗華、松本聡香 との関係

ところで、四女について調べてみると、松本宇未という名前が見つかります。

松本宇未は、麻原彰晃の次女です。

 

よって以下の関係になります。

 

麻原彰晃の次女:松本宇未

麻原彰晃の三女:松本麗華 (アーチャリー)

麻原彰晃の四女:松本聡香

 

松本宇未のアメブロのプロフィールに以下のように記載されていました。

松本 宇未
父は、オウム真理教創始者である麻原彰晃(松本智津夫)。

妹に、松本麗華(三女アーチャリー)と、四女松本聡香(仮名)を持つ。

父には、「カーリー」あるいは「カーリーちゃん」と呼ばれていた。
現在、松本宇未(仮名)を名乗る。

麗華と違い、自分の顔と名前を出す気はさらさらない模様。あきらめ悪く、社会に埋没して生きるという野望をいまだに捨てきれずにいる。

人生に疲れ、ガス欠中。

 

松本宇未のブログ (木の葉が沈み石がうく):https://ameblo.jp/matsumoto-umi

松本宇未のツイッター:https://twitter.com/umi_matsumoto

 

次女である松本宇未は、四女である松本聡香について次のように語っています。

わたしには麗華の他に、もう1人妹がいます。父の四女です。彼女は松本聡香のペンネームを使っているので、ここでは聡香とします。

わたしは6人きょうだいです。きょうだいが多いためか、麗華と聡香はしばしば混同されて理解されてきました。

三女である麗華がある方にご挨拶したら、「四女は礼儀正しかった」というような記事になる。聡香がやったことが、麗華がやったこととして掲示板などで語られることもあります。

江川さんのところから逃げ出したのは、聡香の方です。

三女と四女は別人です。

四女もまた、麗華よりおよそ5年前の2010年4月24日に、『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』という本を徳間書店から出版しています。

わたしには、2人の妹は対照的な人生を歩いているように見えます。

――逃げた者と、逃げなかった者。心を壊しきってしまった者と、寸前で踏みとどまった者。人を利用する者と、利用された者――。

今まで、わたしたち家族が聡香について語ることはありませんでした。幼いころから聡香を知る多くの人も、口を閉ざしてきました。

「それでも、聡香ちゃんは責められないよね。あんな経験をしたら……」

誰もが彼女を守ろうとしたのです。

麗華は自著『止まった時計』の中で聡香についてわずかに触れましたが、ほとんどのことについて、いまだ黙したままです。聡香が家出したとき、彼女が麗華に何をしたのかについても語っていません。

麗華が自分自身の人生を賭けて本を書かなければ、わたしも聡香について黙っていたでしょう。でも聡香がわたしの妹であるのと同様、麗華もまた大切な妹です。

聡香について語ることのできない麗華に代わり、わたしが語らねばなりません。

聡香の人生もまた、悲しいものでした。6歳で両親を逮捕され、栃木県大田原市では「子どもたちにサリンを飲ませろ」という住民の罵声を子守歌に眠りました。

茨城県龍ヶ崎市では住民票を不受理にされ、義務教育を受けるために裁判を経験しました。まだ彼女が、たった11歳のときのことです。この就学拒否は、官民一体で行われました。行政はもちろん、教師が連絡帳を通して就学反対の保護者の署名を集めたのです。

裁判で就学が認められると、彼女はただその出生ゆえにいじめを受けました。同級生は彼女を避け、修学旅行の彼女の写真の顔には、画鋲で無数の穴をあけられました。教師もまた、いじめを助長しました。やがて彼女は、夜が近づいてくると、
「また朝が来る……」
と泣くようになります。

いじめをなんとかしようと教育委員会に何度も訴えましましたが、「本人の気持ちの問題」と一蹴されました。更に、同席した彼女の中学校――中根台中学校の当時の校長は、聡香が何度も自殺しようとしていると聞くと、彼女を指さし、

「(事件で)1人しか死んだわけじゃないですよね。1人以上死んだわけでしょう」

と言い放ちました。このとき聡香は、最初は何を言われたのかわからず、きょとんとしていました。2003年8月7日のことです。

教育委員会と中根台中学校がいじめ問題を取り合わないと半ば宣言した以上、聡香が中根台中学校へ通い続けることは不可能でした。彼女には、二つの選択肢が残されました。

1つは裁判で学校や教育委員会を訴えること。もう一つは次の中学校でいじめがないことを願って、龍ヶ崎から東京にいる麗華の元に引っ越すことです。

彼女が最初は裁判を選択したため、後見人だった松井先生と共に、わたしも裁判の準備を進めました。わたしが母親のかわりに学校とやり取りをし、聡香から話を聞き、いじめの記録を取っていたからです。

しかし、「裁判を起こすような子」と思われ、高校や大学の進学に影響が出ることを恐れた彼女は、途中で裁判を取りやめ、東京へ引っ越していきました。

麗華と同様、彼女もまた社会に受け入れられることを強く願っていました。高校や大学に夢を抱く、ただの1人の少女でした。

もし彼女がここで逃げなかったら、彼女は今違った人生を歩いていたでしょう。権利の侵害に対して、正当な方法で闘うことを学べたからです。

もちろんわたしは、彼女が裁判から逃げたことを批難するつもりはありません。裁判は大人でもしばしば心が折れる、過酷な闘いです。そんな過酷な闘いをするには、聡香はまだ幼すぎました。

2.松本聡香(四女) 1 | 木の葉が沈み石がうく

松本聡香の大学は?ツイッターは?ブログは?インスタグラムは?画像は?

松本聡香は、ブログやツイッター、インスタグラムをやっていないようです。

 

また、顔出しもしていないので画像も出回っていません。

 

松本聡香(さとか)さんのペンネームで知られる松本死刑囚の四女は2017年11月に記者会見を開き、教団との決別、両親との相続関係を断つ「縁切り」を宣言しています。

死刑執行される半年ほど前のことなので、もしかしたら死刑執行される前に縁を切りたかったとか、何か予感がしていたのかもしれませんね。

 

その時の記者会見では、

・2,3歳から窓もない倉庫のような一人部屋で生活していた

・弟が生まれると母からは、ここに居場所はないと追い出された

・ 破片入りのオムレツを食べさせられた

・真冬に薄着で何時間も立たされるなど父の命令で死にそうになった

・ 熱湯風呂も7歳の頃から入らせられたようで、年齢が上がるにつれて時間や温度も増やされた

などなど、見ているだけでも壮絶な幼少期を送っています。

 

 

 

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