豊田亨の両親は?加古川出身、白陵、東大、天才だった?手紙の中身は?

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オウム真理教の豊田 亨について調べてみた。

豊田 亨(とよだ とおる、1968年1月23日 – )は、オウム真理教元幹部。確定死刑囚。兵庫県加古川市出身。ホーリーネームはヴァジラパーニ。

教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。教団が省庁制を採用した後は科学技術省次官の一人となる。東京大学准教授の伊東乾は大学時代の同級生で友人。元オウム車両省大臣・アレフ幹部だった野田成人は高校・大学の先輩にあたる。

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豊田亨の生い立ち、加古川出身、白陵高校から東大へ、天才?

豊田亨は加古川県出身です。

祖父の代からの教員一家に生まれる。

家の前は禅宗の寺で、死の恐怖を身近に感じていた。校則に違反するからといって喫茶店にも寄らなかったり、事故を起こすリスクを考えて自動車免許をとらないなど、真面目で慎重な人柄だった。

白陵高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。

素粒子理論を専攻し、東京大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。

東大時代は、「必ずノーベル賞を取る」と学業で多忙を極める中、寮の行事にも率先して参加していた。性格は誠実で温厚で明るいナイスガイ、関西弁でジョークをとばす好人物であった。物理学の他にもギターや少林寺拳法などをやっている多才な一面もあった。研究室で尊師マーチをギターでひいてみせたともされる。

麻原彰晃の著書『超能力秘密の開発法』を東京駅の本屋で見つけたことをきっかけに、大学入学年の1986年9月からまだヨガ教室であったオウム真理教の前身オウム神仙の会に入会し、1992年4月には博士課程に進学するが1ヶ月経たないうちに中退、出家信者となった。出家番号は962。豊田に出家を進めたのは、高校・大学時代の先輩にあたる野田成人である。

周囲には「女の子の看病をする」と手紙を残し行方不明になり、その後オウムの本を送ってきたため出家していたことが分かった。

1990年2月の総選挙の時は象のお面をかぶりながら、麻原彰晃の側で歌って踊っていた。豊田自身は当時22歳で被選挙権がなかったこともあり、立候補はしていない。

豊田亨 家族、両親、父親は?

豊田亨が生まれた家は、祖父の代からの教員一家だそうで父親は高校の体育教師、祖父は校長まで務めた高校の生物教師、弟は哲学の教師、妹の夫も高校の教師だそうです。

後のインタビューで、父親は

「気が弱く大人しい、正直で慎重な子だった」

「放任主義で育てていたが、躾は母親に任せていた」

と語っています。

豊田亨の手紙

豊田は地下鉄サリン事件の遺族に宛てた手紙の中で

「裁かれる者として、遺族・被害者の方の不快感を増大させる言動を慎むことが最低限のとるべき態度だと考えます」

と述べた。

 

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