オウム真理教の井上 嘉浩について調べてみた。
井上 嘉浩(いのうえ よしひろ、1969年12月28日 − 2018年7月6日)は、元オウム真理教幹部。元死刑囚。京都府京都市右京区出身。ホーリーネームはアーナンダ。教団内でのステージは正悟師。
井上嘉浩の中学、高校、大学はどこ?
京都府京都市右京区出身の井上嘉浩の中学は不明です。
ただ、高校は京都の有名進学校 私立洛南高等学校です。
1988年京都の私立洛南高等学校を卒業し、3月1日に出家。
親と麻原との交渉では大学を出てから出家する予定であり、日本文化大学法学部へ入学するが麻原の指示で中退。
後に井上は大学を出ていないので教団内では重要な立場に無かったと主張したが、本人も大学に行く気は無く卒業即出家したがっていたらしい。
その後母親もオウムの在家信者となりました。
井上嘉浩は童貞?彼女は?妻は?
井上嘉浩は童貞だったらしい。
彼女や妻は当然ながらいなかった模様。
2014年5月菊地直子の証人に呼ばれた井上嘉浩は次のように語っていました。
オウム真理教による都庁郵便物爆弾事件で、殺人未遂などのほう助罪に問われている元信者菊地直子被告(42)の裁判員裁判の第2回公判が12日、東京地裁で開かれ、元教団幹部の井上嘉浩死刑囚(44)が証人出廷した。証人席で、数々の“爆弾発言”をした井上死刑囚だったが、極め付きは驚がくの「童貞宣言」だった。
元教団幹部平田信被告(49)の裁判にも異例の証人出廷した井上死刑囚が再び登場した。傍聴席と証言台の間には防弾パネルと遮蔽板が設置されて姿は見えない。東京・八王子のアジトで爆破の計画立案と爆弾製造が行われ、井上死刑囚は都知事を標的にする提案をした。爆弾の原料を教団施設からアジトへ運んだのが菊地被告。元幹部中川智正死刑囚(51)の“オンナ”だった菊地被告が運び屋の役割を命じられた。
「中川さんと菊地さんが男女の関係と認識していた。菊地さんは頑張ってくれるかもと思った。女性としての心を利用して申し訳なかった」と井上死刑囚は述懐する。
「麻原(彰晃=松本智津夫死刑囚)が『中川が菊地に手を出した』とボヤいていた」ことも聞いたそうだ。
警察の検問を乗り越えて薬品を届けるため、工夫をしていた菊地被告は「かばんの中に女性用の下着を混ぜてる。警察官がチェックしても中を触られにくい」などと説明したという。また、爆弾作りの手伝いをしている姿も目撃したと証言。
一方、アジトには井上死刑囚を慕う部下の女性信徒も出入り。女性はかつて取り調べで「井上さんから冷たくされてさみしいと思った。すがりついたら、驚いて逃げ出した。『女性に触られると自分のエネルギーが抜かれる』と言って極度に避けていた」という趣旨の供述をしている。
井上死刑囚はこの供述に「エネルギーが抜けるというか、カルマ(=業)が交換される」「触られないようにした」と語ってみせたが、ここで度肝を抜かれる発言が。
「私も性欲の破戒をしたことはあります。今でも童貞であるんですけど」
この“破戒”が自慰を指すのか、女性との性行為かは定かではないが、高らかに“童貞宣言”。恥ずかしそうに、だが誇らしげな口ぶりだった。
驚きの発言は続く。「公安部の現役警察官のKさんの内部情報」を受けていたというのだ。
「オウムがいれば、ぶつかって逮捕しろ。なんの容疑でもいいから」という方針が公安部内で定められていたために「『井上さん、気をつけて』と連絡を受けていた」と明かしたのだ。
オウムを取り締まる公安部がオウムに情報を流していた。それを聞く検察官らは苦々しい表情を浮かべる。様々な“爆弾”を落としていった井上死刑囚。
菊地被告は初公判同様に一切表情を変えず、ノートにペンを走らせるのみだった。
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から引用。
井上嘉浩の詩
井上嘉浩は生前、詩を遺しています。
「合掌」
夜明け前ふと気が付くと
月影がわずかに瞬いている
小さなか弱き光でも美しく
埋もれた悲しみに寄り添う気高さに
静かに手を合わせます。
2018.6.29. 井上嘉浩
「浄土の花」
夢に咲くウドウンバラのように
生まれることもなく散ることもなく
浄土の花は穢土の直中に
誰にも気付かれることもなく
命の瞳に咲くいのち
2018.5.18. 井上嘉浩
「いのちの大海」
何処にも拠りどころをつくることなく
宙ぶらりんに己を投げ出せば
そこは何もない空っぽではなく
人間の想像を遥かに越えた
悲しみと喜びが平等に瞬く
生死を織りなすいのちの大海。
2018.5.6. 井上嘉浩
以下のサイトからの引用。
井上嘉浩と尾崎豊
地下鉄サリン事件の実行部隊の指揮を執った井上嘉浩(いのうえよしひろ)はオウムの諜報大臣の地位にあった人物だが、彼は熱心な尾崎豊のファンであった。
井上は中学時代に尾崎に感銘を受け、尾崎に感化されたような自作の詩を、大学ノートに書き付けたりしていた。
彼は青春の情熱の置き所に迷い、本当の自分をもとめて、ついにオウムにたどり着く。
何を怖がってんだよ 何を怖がっているんだよ
水中クンバカっていう修行中の出来事。
1989年10月26日。
富士山総本部で行われた水中クンバカ大会にTBSや赤旗の取材がきた。社会情報局や報道局も含め3台のカメラがオウム施設に入った。早川「東京放送…TBSですね」
麻原「赤旗来てるの?」
取材陣を気にする麻原。
赤旗といえば共産党、無神論者の集団である。きな臭い噂を嗅ぎ付けて来たのだろう。
麻原は気に喰わない顔を浮かべた。テレビ局は麻原の水中クンバカを期待していた。しかし、水槽に潜るのは麻原ではなく、井上と一般信者たちだった。
上祐と青山が見守る。
麻原「マンジュウ、酸素テントを確かめろ」
村井「はい。わかりました」
麻原「水温を35度まで下げろ」
この日、村井は水中クンバカ大会用の浴槽を準備し、水面の上に深呼吸するための酸素テントを設置させていた。はじめに挑戦する信者が水槽の中へ入ると、テントの中で深呼吸をはじめた。
麻原「偉大なる完全なる絶対なる」
麻原が早口でマントラを唱える。村井「いつでもいいぞ!」
30分後に村井が合図をすると、信者は潜りはじめた。同時にストップウォッチの電子音が響く。見守る信者とTBS関係者。
麻原「ここからで4分だからね!4分!」鼻をつまむ信者。
信者「ヴゥゥ〜〜」
浮かび上がった信者が苦しそうに牛の唸り声のような奇声を出した。早川「あーダメ」
麻原「よし、アーナンダ!」井上「ハイッ!」麻原「もうダイレクトにいくゾ!」
麻原「あのぉ、喋ったらえらい疲労するから、というよりお前、失敗したら不味いから…」
二人目は当時19歳井上。酸素テントの中で何度も深呼吸を続けた。
麻原「酸素テントに入って何分?」
村井「…」
時間を数えていないのを無言でごまかす村井。
井上が水槽内に潜った。中の鉄パイプで体を固定し、水中クンバカにチャレンジだ。
麻原は再びマントラを唱える。5分30秒後、息苦しくなった井上が浮上した。村井はタイマーを止めた。
麻原「…」
井上「すみません…心臓が…止まりまして…」
麻原「何怖がってんだよぉ~」
井上「スミマセン」
呆れた表情を浮かべる麻原。
麻原「…もう出ていいぞ」
井上「しまったぁ、くっそ~」
麻原「偉大なる完全なるシヴァ神の」
信者「ウェー…ちきしょぉ〜ゲフッ」
麻原「ダメかやっぱり」
白ける村井たち。
から引用。
井上嘉浩の遺体はどこへ?
2018年7月6日午前、大阪拘置所にて死刑が執行された。
最終的には教団から脱会したそうです。
両親により2日後に荼毘に付され、浄土真宗の寺で葬儀が営まれている。
最期の言葉は「まずはよし」。
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