オウム真理教の中川智正について調べてみた。
中川 智正(なかがわ ともまさ、1962年10月25日 – 2018年7月6日)は、元オウム真理教幹部。元死刑囚。岡山県出身。ホーリーネームはヴァジラ・ティッサ。 2018年、死刑執行。
中川智正は天才?学歴は?大学はどこ?医師だった?
中川智正は、岡山市内の繁華街で洋服販売店を営む両親のもとに長男として生まれる。
1978年3月岡山大学教育学部附属中学校。
1981年3月岡山県立岡山朝日高等学校卒業。
ちなみに水道橋博士も岡山大学教育学部附属中学校出身。
同級生には中川智正死刑囚だけではなく、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトもいる。
同じ教室で学んだ3人はその後、漫才師、ロックンローラー、テロリストになった。
中川智正は高校時代には「嫌いな人間はいない」と豪語。
手塚治虫「ブッダ」の影響で医師の道を目指し、一浪を経て1982年に京都府立医科大学医学部医学科に進学。
大学では柔道部に所属した。
大学祭では実行委員長を務め、明るく温厚で実直な人柄から交友関係は広かった。
また、障害者のボランティアをしていて、学園祭で車椅子を押して会場を回るなど、正義感が強く優しい青年だった。
1988年5月に医師免許を取得し、研修医として一年ほど勤めたが、6月に体から意識が抜け出すのを感じて手術室で失神。
精神科も受診したが通院は続かず、1989年8月31日、周囲の反対を押し切り退職し看護師の恋人とともに出家(恋人はのちに中川とともにサリン生成に従事し逮捕)。
中川智正の実家、母、兄弟
中川智正の実家は岡山と思われます。
家族については父親と母親と兄弟がいます。
実家は岡山市内で洋服の販売店を営んでいました。
幼い頃から商売をやって多忙な両親を支えるために兄弟の面倒をよくみていたそうです。
ですので、兄弟がいるのは確実なんですが、名前や職業、今現在の状況など詳細なことは全く情報がありません。
もちろん、一般の方でしょうからね。
長男なので弟や妹がいるのでしょう。
兄はいないとして、姉はいるかもしれませんね。
中川智正の彼女
今現在、彼女がいるかどうかは不明です。
今の状況から考えていないと言えるのではないかと思います。
しかしながら、かつて恋人がいました。
その彼女は看護師をしていた女性です。
名前は不明です。
医師と看護師の彼氏彼女だったというわけです。
どうしても出家すると言ってきかない中川智正氏についていき、彼女も出家。
出家した当時22歳でした。
2014年当時の報道では今47歳ということだったので、今現在は50歳くらいになりますね。
さきほどの報道によると、もちろんオウムは奪回してどこかの会社の正規の従業員になっているということでした。
教団に入ってからも恋人ができているようです。
それが、菊地直子氏。
学生時代にマラソン経験があることから、教団陸上部の選手でした。
そして、指導していたのが中川智正氏。
最初は師弟県警だったのでしょうが、だんだんと恋人関係になっていったようです。
現在の彼女はわかりませんでしたが、元カノについてはいくつか情報があったので解説しました。
学生時代には彼女はいたんでしょうかね?
勉強ばっかりだった可能性も高いですが。
中川智正の俳句
地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件を主導した元教団代表・麻原彰晃死刑囚(57)=本名・松本智津夫=の側近だった中川智正死刑囚(50)が、俳人の江里昭彦さん(62)と二人だけの俳句同人誌「ジャム・セッション」を創刊した。拘置所の独房で日々を過ごす中川死刑囚は、セミや花に心境を託した句など十八句を寄せている。(石井敬)
「この小誌を『ジャム・セッション』と名づける。同人は中川智正氏と私のふたりだけである」
冒頭、江里さんの「創刊に当たって」に、こうある。「ジャム・セッション」とは、ジャズなどで打ち合わせなしに始める即興演奏のこと。死刑が確定して面会禁止となった中川死刑囚とは「ぶっつけ本番」にならざるを得ないためだ。
ふたりの出会いは、江里さんが京都府立医科大の職員だった一九八六年にさかのぼる。大学祭の実行委員長だった中川死刑囚が学生課によく出入りし、顔見知りとなった。
一時は疎遠となったが、逮捕を知って驚いた江里さんが中川死刑囚の家族に連絡。本人の求めに応じて本を差し入れてきた。
二〇〇六年秋、約二十年ぶりに東京拘置所で面会。裁判の法廷に出て、障害者のボランティアをするなど温厚で誠実だった学生時代の印象を述べた。
* *
拘置所で俳句などを作っていた中川死刑囚は、死刑が確定すると面会禁止になる直前、歳時記の差し入れを求めた。詩歌を作り続ける意思表示と受け止めた江里さんは、昨年暮れの最後の面会で「ふたりだけで同人誌を出そう」と提案した。
歌手の美空ひばりさんの評伝「ひばり伝」などで知られる俳人の斎藤慎爾さん(73)も趣旨に賛同し、ゲストとして十句を出した。
から引用。
↓中川智正の俳句の公式サイトはコチラ
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中川智正の論文
アンソニー・トゥーとの交流
米国コロラド州立大学名誉教授アンソニー・T・トゥ(台湾名:杜祖健)博士と刑死するまでの間に15回にわたって面会しており、同博士は2012年の時点で「今回も中川氏が率直に話してくれたので、多くの事柄が明るみに出た。オウム教団の化学兵器、生物兵器の事情がさらに詳しくわかった」と語っていた。死刑確定から刑の執行まで、法務省はトゥーと元アメリカ海軍長官で退官後にワシントンで紛争予防のシンクタンク「新アメリカ安全保障センター」を運営するリチャード・ダンチックの2人には特別面会を許可していた。ダンチックは約20回の面会を行っている。ダンチックらはプロジェクトとしてなぜサリン事件が起きたのかを調査しているのに対し、トゥーは毒物学の専門家として、オウムがサリンやVXガスの製造に至った背景を探っている。本来10分の面会時間を特別に30分許可されていた。中川は独房生活のさびしさゆえに面会を楽しみにしているとトゥーは語っている。通常死刑が確定すると、肉親と弁護士以外は面会できないが判決が確定前に文通していた場合は例外となる。トゥーは最高裁で上告棄却で死刑確定した2011年11月18日の2週間前に文通を開始しており、面会できる権利を得た。面識はなかったもののダンチックより中川に会うことを勧められた。当初は土谷正実死刑囚が科学の専門家であったため、土谷に会うことを希望していたが土谷の刑が確定していたため面会ができず、中川に連絡を取ったところ中川からも会いたい趣旨の連絡があったため2011年に最初の面会を行った。死刑囚としての中川の心情を不安定にさせないよう、死刑や殺人という言葉の使用は避けていた。1994年にトゥーは専門誌『現代化学』に、サリンやVXガスなどの化学兵器に関する論文を書いており、中川や土谷の2人もそれを目にして土谷は自分でもVXガスの製造が可能であると考え、資料を集め作成したと中川から聞かされた。中川は、警察がかなり早い段階で上九一色村のサティアンの土壌からサリンを検出できたことを不思議に思っていたが、面会の際にトゥーは自分が警察に協力したと告げたところ、中川は1分ほど黙ってしまったという。が、その後「ああ、そうでしたか。先生がお手伝いしたのですね。でも、オウムがつぶれてよかったです。でなければ、殺人がもっとたくさん起きていた」と言った。トゥーは金正男暗殺事件の前に実際に人間に対してVXガスを使ったという公式の記録はなく、中川が唯一の経験ある人間であることから、その経験の記録は残すべきと考えるが、日本政府がそれを行っていないことを批判している。
オウム真理教の元信者、中川智正死刑囚が執筆した論文が学術誌に掲載された。
ファーストオーサー(筆頭著者)として論文を執筆している。
タイトルは「Murders with VX: Aum Shinrikyo in Japan and the assassination of Kim Jong-Nam in Malaysia(VXによる殺人~日本におけるオウム真理教とマレーシアでの金正男氏暗殺)」だ。
T. Nakagawa, A. T. Tu, “Murders with VX: Aum Shinrikyo in Japan and the assassination of Kim Jong-Nam in Malaysia,” Forensic Toxicol., 2018, in press [link].
中川智正の遺体はどこへ?
中川智正の遺骨は親族に引き渡されました。
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