新実智光の学歴
生まれは愛知県 岡崎市
1964年(昭和39年)資源回収業の両親の元に愛知県岡崎市にて生まれる。
小学校から高校まで
岡崎市内の小学校、中学校、愛知県立の高校を卒業。高校時代よりオカルト雑誌を愛読。複数の新興宗教に通う。学生時代は、その風貌から「空海」というあだ名をつけられたこともある。友人に恵まれ学生生活を楽しむが、生まれつきあった口唇の傷(口唇口蓋裂)に苦しみ、いじめに遭う。さらに高校生時代に地元の東岡崎駅で目撃した2度の自殺事故に衝撃を受け、「死とは何か」を考え精神世界に興味をもつようになり、多くの宗教団体に入信する。麻原の言う「苦を感じなければ修行の道に入らない」との鉄則を高校時代から感じていた。
高校時代に、傷や病気が治ると信じ、ある宗教団体に入信するが、教義は「入信しない者の魂は、神の意思によって滅ぼされる」というものであった。新実は、そこには何ら神の愛はない、単なる神のエゴイズムに過ぎぬと感じ脱会する。これは新実にとって、最初の宗教への挫折となる。
読書に打ち込んだり、仙道的なことや瞑想を行うが次第に宗教から遠ざかり、空手など肉体的鍛錬に興味が移る。
子供時代にいじめを受けていたことで宗教に救いを求めたのか?
大学時代以降
その後、愛知学院大学に入学。友人の勧めで大学時代の終わりに、再び別の宗教団体に入信するものの、同様に「よいことをしない魂は滅びる」との教義に「存在というものは、この神々の将棋の駒に過ぎないのか、いつでもその神々の意思によってなくなるのだろうか」との思いをいだく。しかし、新実は「私は決してそうではない、私たちには本当の力があるはずだ、神と同じレベルの魂が内在するはずだ」と感じるに至る。このため、神が持つとされる霊力を自分自身も持ちたいと考えるようになる。
このときにオカルト雑誌『ムー』や『トワイライトゾーン』などで麻原彰晃の空中浮揚の記事が目にとまり、ヒヒイロカネのプレゼントに応募したことがきっかけで、大学卒業間近の1986年正月、オウムの前身「オウム神仙の会」のセミナーに参加し、すぐに入会し会員となるが、その際に送られてきた運命鑑定書には、新実が自分では認めたくない隠していた内面が書かれていた。シャクティーパットとこの運命鑑定書により、一気に傾倒を深め行法を続けると赤と青の光が見えるようになり、著しい精神的変化が起こった。
愛知学院大学に入学したわけだから、それなりに優秀だったはず。
新実智光の遺体はどこへ?
獄中結婚しており相手はオウム真理教の後継団体であるアレフの一員。
新実智光の遺体は親族に引き渡されました。
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