松永太 北九州監禁殺人事件、生い立ち、天才、息子、両親

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松永太は北九州監禁殺人事件の犯人とされる男。

この事件では、主犯 松永太の死刑と共犯 緒方純子の無期懲役が確定している。

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北九州監禁殺人事件とは

北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)は、2002年(平成14年)3月以降に福岡県の北九州市小倉北区で発覚した監禁・連続殺人事件。

 

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。

犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。

2011年12月、最高裁判所によって主犯 松永太の死刑と共犯 緒方純子の無期懲役が確定した。

 

非情な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、途中から報道機関が自主規制して報道量が少なくなり、全国の報道機関での集中報道に結びつかなかったといわれている。

 

報道量が少なくなった理由としては

「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しいこと」

「家族同士が殺しあった事件の性格から被害者遺族がメディアに積極露出をして被害を訴えづらいこと」

があるとされている。

 

松永太の生い立ち

1961年(昭和36年)4月28日生まれ。

北九州市小倉北区出身。福岡拘置所に死刑囚として収監されている。

実家は畳屋で、7歳の頃に父親が実家の家業を引き継ぐため柳川市に転居した。経済的には裕福な家庭であり、母親と祖母に甘やかされて育った。小学校の全学年でほとんどの科目が「オール5」であり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、部活ではキャプテンを務めたが、当時から虚言癖があり、教師からの信用は低かった。緒方純子と同じ高校に進学し風紀委員長になるも、不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。

転校先の高校を卒業して父の店「M商店」を受け継ぎ、家業を布団販売業に転換、有限会社化のちに株式会社にする(社名ワールド)。

1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。

1980年に結婚して1男をもうけるが、1992年に前妻と離婚。

その後に内妻 緒方純子と2男をもうける。

 

病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い(アフェクションレスキャラクターの傾向) 。異常なまでに執念深く嗜虐的。神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。

 

松永太は

「東大卒のコンピューター技師」

「京大卒の予備校講師で物理学者の逸材で小説家志望」

「実家は村上水軍の当主」

「兄は東大卒の医者」

など様々な嘘の経歴を名乗っていた。

 

松永太は容姿や話術から女性から好感を持たれる魅力があり、それにより様々な女性遍歴があった。

松永太は同時に複数の女性と肉体関係を持っており、交際女性とその母親と同時に肉体関係を持っていることもあった。

緒方純子と元妻は松永太が同時に複数の女性と肉体関係を持っていることを知っていたが、中々松永太と別れようとしなかった。

松永太の証言によると、この事件関係者である内妻の緒方純子の家庭については、緒方純子だけでなく緒方純子の母Dや緒方純子の妹Eとも同時並行で肉体関係を持っていた。

松永太はこのことについて「奇妙な人間関係」と表現している。

死亡した緒方純子の母Dや緒方純子の妹Eの肉体関係については相手が誘ってきたと松永太は主張しているが、緒方純子や元妻など松永太と交際して生存している女性によると交際のきっかけは松永太から誘ってきたと述べている。

 

また、松永太は女性と性行為をする際に写真を撮影することがあり、松永太が撮影した性行為の写真は緒方純子だけではなく緒方純子の母Dや緒方純子の妹Eのものも存在して監禁事件における材料として使われ、事件発覚後に警察に押収されたという。

 

共犯者の緒方純子や本事件の被害者たちだけでなく、過去の交際女性、会社の従業員、顧客なども標的にして苛烈な暴力を振るい、時には標的とした人々をマインドコントロールにかけて本事件に近い形で暴行の共犯者にし、彼らに対して絶対的な存在として振る舞っていた。

 

事件発覚後に元妻は

「松永太はとにかく自信家で大きなことばかり言って、人に夢を持たせる」

「松永太は自分を『世の中の救世主』と語っていたが、松永太と出会った人は全員不幸になった」

「松永太によっていつか死人が出ると思ってた」

「多くの嘘で上塗りをしていくと、松永太の中では本当のことになる」

「あんな人間、二度と出てこない」という言葉を残している。

 

両親を含めた親族は取材を拒否している。

なお、松永太が経営していた会社の元従業員は

「松永太は暴力団幹部と付き合いがあった。松永太の実父からピストルを見せられたことがある」

と法廷で証言している。

 

また、松永太の親戚に結婚詐欺や手形詐欺など詐欺についての知識が豊富な人物がおり、殺人事件前に他界しているものの、松永太家や松永太が経営する会社に出入りし、松永太の詐欺にはこの親戚の影響を受けていたという。

 

 

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