オウム真理教の土谷正実について調べてみた。
土谷 正実(つちや まさみ、1965年1月6日 – 2018年7月6日)は元オウム真理教幹部の元死刑囚。東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了、博士課程中退。化学(物理化学と有機化学)を専攻。ホーリーネームは クシティガルバ。教団では第二厚生省大臣をつとめた。教団の化学者として化学兵器や薬物を生成し、マスコミから化学班キャップと呼ばれた。ステージは菩師長であったが、地下鉄サリン事件直前に正悟師に昇格した。
殺害実行や謀議には関わっていないが、サリン生成方法を確立し、無差別大量殺人を可能にしたとして大量殺傷事件の共同正犯で2011年に死刑判決が下った。
ザ!世界仰天ニュースの「洗脳スペシャル(2012年4月4日放送)」「家電が爆発&死刑執行サリンを作った土谷正実の真実スペシャル(2018年7月17日放送)」で半生が特集された。
2018年7月6日、東京拘置所にて麻原彰晃らと共に死刑執行。
土谷正実が天才って本当?
土谷正実は天才と言われていますが、本当らしい。
まず、土谷正実の中学・高校時代について。
中学生になると活発なクラスの人気者になる。楠木正成の「楠公精神」をきっかけとして日本史に関心を持つ。東京都立狛江高等学校時代はラグビー部に所属。生きがいのように打ち込み、中心選手として活躍した。性格は明るくひょうきんで、同級生にも後輩にも慕われていた。高校時代の愛称は「ツッチー」。成績は良くなかったが、高校2年生の時にイオン化傾向に興味を抱いて化学を勉強し始め、学年トップになる。相性の悪い先生に代わると一気に点数が0点近くまで落ち、好き嫌いの激しい一面があった。この頃、人間が一生のうちに脳細胞の数%しか使わずに死んでいくことを知る。「非効率だ、これを100%近くまで発揮するものがあるはずだ」と考えていた時にテレビ番組でヨーガを知り、漠然とした興味を抱く。
頭が良かったのは事実のようです。
次に、土谷正実の大学・大学院時代
ヨーガを極めるためヒマラヤへ行きたいと思うが現実的ではないので諦め、一浪して1984年に筑波大学第二学群農林学類へ進学。荒井由実や中島みゆきの歌を聴くごく普通の青年だった。高校時代から憧れていたラグビー部に入部。しかし、早々に重傷を負い5月末には退部を余儀なくされて、自暴自棄に陥り酒浸りの生活を送る。生活はだらしなく、時間にもお金にもルーズであった。高校時代からの恋人との交際を反対する父親と喧嘩になり、仕送りを断たれて新聞配達のアルバイトで食いつなぐが、次第に恋人とうまくいかなくなる。夜遅くまで何度も電話をかけては、恋人と連絡が取れないと傷つき、床を転げ回って苦しんだ。漫画『ゴルゴ13』のワンシーンを思い出し「体を傷つければ心の痛みを忘れられる」と自ら胸を果物ナイフで40cm切りつけた。「肉体的苦痛により精神的苦痛が和らいだ」「この気持ちを合理的に説明するのは宗教だ」「新たな価値観を掲示する団体が登場したら所属しよう。それまでに得意な化学の能力をより伸ばしておこう」と考えた。1986年夏、恋人にふられ、別れたことを父親に報告すると仕送りが再開。授業にはあまり出なかったが、化学だけは熱心に勉強し、卒業論文は「木材の防腐剤に関する研究」だった。
卒業後は同大学院化学研究科へ進学。院試で「もし不合格になったらどうするのか」と問われ「そのときは青年海外協力隊に参加したい」と回答していた。大学院では有機物理化学研究室に入室し、炭化水素の光化学反応を研究。修士論文は「片道異性化に関する研究」であった。指導した教授は「発想力豊かで、将来国際的な研究者になる」と高く評価した。博士課程に進んだがオウムにのめり込んで研究室へ顔を出さなくなり、1993年に正式に中退した。
筑波大学の大学院博士課程まで進んだわけですから、かなり優秀な人材だったと思われます。
土谷正実の実家はどこ?
土谷正実の実家は、東京都町田市の住宅街のようです。
土谷正実はイケメン?彼女は?妻は?
土谷正実は過去にも、彼女もいたことがあり、割とイケメンで、充実した学生時代を送っていたようです。
2009年12月、2006年夏から接見していた土谷の入信のことも知る古い付き合いの女性と2009年に獄中結婚しました。。
相手の女性は一般女性です。
作家の大石圭とは実家が隣同士の幼馴染。妻が大石圭のファンだったことから、妻を通じて交流が再開、2010年から2014年6月まで手紙のやり取りや面会を行っていた。
土谷正実の方が学年が3個下なので、特別親しかったわけではないが、顔を合わせれば挨拶する仲だったという。
土谷正実の妻が大石圭氏のファンであったことがきっかけに、妻が仲を取り持ち、大石圭氏と手紙でやり取りするようになる。
土谷正実の親、家族は?
土谷正実は、男として東京都町田市で出生。
両親と、5歳下の妹、7歳下の弟の5人家族です。
家庭は裕福だった。幼少期は内向的でおとなしく、のちにオウム入信をめぐって激しく対立することになる母親から非常に可愛がられて育ちました。
両親はのちの土屋の裁判の際、次のように述べています。
父親:『オウム壊滅の過程で正実の命が失われるのは仕方ない。』
母親:『死刑になって当然。』
土谷正実の手紙
土谷正実が、大石に宛てた手紙には、
「化学兵器を作ったことを後悔」
「麻原よりも先に死刑になりたい」
などとつづられ、量子力学の本を写経して日々を過ごしていることを明かしていた。
大石との接見は2014年から途絶えていたが、死刑執行後に土谷の妻から「ただ一人の友達で実の兄のように慕っていた」と聞かされたという。
土谷正実の遺体はどこへ?
土谷正実の遺骨は獄中結婚した妻の元に送られました。
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