堀慶未(ほりよしとも) 碧南市パチンコ店長夫婦強殺事件 闇サイト事件、生い立ち、死刑

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堀慶未は碧南市夫婦強殺事件/闇サイト事件の犯人とされる男。

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碧南市パチンコ店長 夫婦強殺事件とは

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件(へきなんし パチンコてんちょうふうふ さつがいじけん)とは、1998年(平成10年)6月28日深夜、愛知県碧南市油渕町4丁目の民家で発生した強盗殺人事件。

闇サイト殺人事件とは (堀慶末・神田司・川岸健治)

闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)8月24日深夜に発生した強盗殺人・死体遺棄事件。

インターネット上の闇サイト「闇の職業安定所」で集まった男3人組により、愛知県名古屋市千種区春里町の住宅街路上で帰宅途中の会社員女性 磯谷利恵さん(事件当時31歳)が拉致され、同県愛西市内で殺害された上、岐阜県瑞浪市内の山中に遺体を遺棄された。

 

犯人の3人組とは、堀慶末以外の2人は、神田司と川岸健治である。

堀慶未(ほりよしとも)の生い立ち

1975年(昭和50年)4月、5人きょうだいの末っ子として生まれた。

本籍岐阜県土岐市、闇サイト殺人犯行当時32歳、本事件での逮捕当時は名古屋市東区泉一丁目在住の無職だった。

 

幼少期の小学生時代に両親が離婚し、中学2年で不登校となり、兄に連れられて外壁工事の手伝いをし始めた。

 

1991年(平成3年)には高校に入学したが、直後に中退し、再び外壁工事に従事した。

1993年(平成5年)、18歳で結婚して2児をもうけ、22歳だった1997年(平成9年)頃に独立し、外壁工事業を営むようになった。

 

しかし、結婚から5年後となる1998年、当時23歳で離婚しており、その当時は、外装関係の仕事の不振や浪費が原因で、約300万円の借金を抱えており、交際相手の所持品を質屋に入れたり、子供のための貯金に手を付けたりしていた。

 

1998年(平成10年)当時、名古屋市守山区内のアパートに居住していたが、たびたび仕事仲間の男2人を自室に招き、3人で頻繁に集まっていた。

 

そして、1998年6月28日深夜、その男2人と共謀し、愛知県碧南市内で、パチンコ店長夫婦を殺害し、現金6万円などを奪った(碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件)。

 

さらにその8年後、本事件の前年となる2006年(平成18年)7月20日には、碧南市の事件の共犯のうち、1人と再び共謀した上で、高齢女性が一人暮らしをしていた、守山区内の住宅に押し入り、女性の首を絞めて重傷を負わせ、現金2万5000円などを奪った強盗殺人未遂事件を起こした。

 

このように、過去に2件の連続強盗殺傷事件を起こしていた、堀慶未の経歴から、大崎善生は、著書『いつかの夏』の中で、堀慶未を

「稀代の殺人鬼」

「人を殺すことを何とも思わない、3度の強盗殺人と強盗殺人未遂を繰り返した悪魔のような男」

と表現した上で、

「あの(凶器の)ハンマーを購入したのも、被害者を車に引きずり込んだのも、手錠をかけたのも、ガムテープで口を塞いだのも、真っ先に被害者の頭にハンマーを打ち下ろしたのも、無慈悲に息も絶え絶えの被害者の頭を粘着テープで23周もグルグル巻きにしたのも、被害者の遺体を荷物同然に肩に担いで放り投げたのも、すべて堀慶未である」

「『何も感じずに無抵抗の女性にハンマーを打ち下ろし、後はお疲れさま。財布にいくらある?』矯正の可能性などあるわけがない。世に放てば4度目、5度目の強盗殺人を繰り返すだけだろう」

と、極めて厳しい論調で非難した。

 

事件の半年ほど前に失職した後、飲食店で働いていた、交際相手女性の住んでいたマンションに転がり込み、名古屋市中川区内の、後に犯行標的の候補に挙げた、ダーツバーに入り浸りつつ、ダーツのプロを目指していた。

また、名古屋市中区内の複数のダーツ店にも出入りしており、チーム対抗のリーグ戦に参加する姿が、愛好家の間で知られていた。その際、周囲には「以前は工場で働いていた」と話しており、金に困った様子は見られなかったが、半年ほど前に仕事を辞めていた、との証言もあった。

交際相手女性は、堀慶未が警察に出頭を求められる直前まで、堀慶未と一緒にいたが、「以前は仕事をしていたと聞いていた。今は無職だというが、特に変わった様子はない」と語った。

 

事件発生年の2007年6月、ネットサーフィンをしていた中で、偶然「闇の職業安定所」を見つけ、犯罪稼業に手を染めるようになった。この時、交際相手の女性と同居し、小遣いを貰って生活していた一方で、複数の金融業者から、厳しい取り立てに遭っていた。

2007年8月21日午前、自宅近くのファミリーレストランでXと初対面した際、「父親と兄が暴力団員の関係者で、兄は強盗殺人事件を起こし、無期懲役で服役中だ。自分も傷害事件を起こし、懲役2年、執行猶予3年だ」という、虚実ないまぜの自己紹介をした。

 

堀慶未から、犯行標的の候補に挙げられていた、行きつけのダーツバーの店長は、『中日新聞』取材に対し「明るく人気者だった彼がなぜ」と、困惑した様子で語った。

また、通っていたダーツバーの店員は、堀慶未がゲーム後、携帯電話の画面をのぞき込んでいる姿を覚えており、「サイト上に表示されるゲームの成績を見ていたのか、それとも闇サイトを見ていたのか…」と戸惑った。

堀慶未が最後に、中区内のダーツバーを訪れたのは川岸健治の闇サイトへの投稿に対し、神田司とともに応じた、8月17日頃だった。

 

本事件の刑事裁判では、第一審・名古屋地裁で、神田司とともに死刑判決を受けたが、その後判決を不服として、名古屋高裁に控訴した。

 

2011年(平成23年)4月11日、控訴審・名古屋高裁(下山保男裁判長)で、死刑判決が破棄され、無期懲役判決を受けた[判決文 1]。

 

検察側は、この判決を不服として上告したが、最高裁判所第二小法廷(千葉勝美裁判長)により、2012年(平成24年)7月11日、検察側上告棄却の決定がなされ、同年7月18日付で、無期懲役判決が確定した[判決文 2]。

 

しかしその後、過去に起こした2件の連続強盗殺傷事件の被疑者として、2012年8月から、翌2013年2月にかけ、愛知県警・名古屋地検により、相次いで逮捕・起訴された。

 

2017年(平成29年)9月22日現在、名古屋拘置所に収監されているHは、これらの連続強盗殺傷事件の刑事裁判で、第一審・名古屋地裁、控訴審・名古屋高裁と、ともに死刑判決を受け、最高裁に上告中である。

 

堀慶末は現時点で、上記の連続強盗殺傷事件の被告人であると同時に、闇サイト殺人事件における無期懲役刑の受刑者として服役中でもあるが、今後、最高裁で上告が棄却されるか、堀慶末が自ら上告を取り下げた場合は、死刑が確定する。

その場合、刑法第51条にて、「死刑を執行すべきときは、没収を除き、他の刑を執行せず、無期の懲役又は禁錮を執行すべきときは、罰金、科料及び没収を除き、他の刑を執行しない」との規定があるため、無期懲役刑の執行は、検察官の「刑執行取止指揮書」の指揮により停止される。

その後は、懲役刑の受刑者に科されていた労役作業はなくなるが、死刑囚として、面会・手紙のやり取りの相手は、親族などに制限され、拘置所独房で死刑執行を待つこととなる

 

 

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