ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン 熊谷6人殺害事件、生い立ち、裁判、判決

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ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンは熊谷6人殺害事件の犯人とされる男。

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熊谷連続殺人事件とは

熊谷連続殺人事件(くまがや ろくにんれんぞくさつじんじけん)とは、2015年(平成27年)9月14日・9月16日の計2日にかけて、埼玉県熊谷市で所轄の埼玉県警察熊谷警察署から脱走したペルー人の男(犯行当時30歳)が、小学生女児2人を含む住民の男女6名を相次いで殺害した連続殺人事件。

ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの生い立ち

ナカダ容疑者の母国であるペルーのニュース番組などで、実は今回の容疑者がペルー史上最悪の殺人犯の弟であると報じられている。

ナカダ・ルデーニャ・バイロン・ジョナタン容疑者の兄とされる人物の名は、ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャ。

1990~2006年にかけて、ペルー国内で17人を殺害した罪に問われ、35年の投獄判決を受けたシリアルキラー(連続殺人鬼)だ。

ペドロの姉によると、かつて兄の殺人を目撃したことにより精神的ショックを受けていたとされている。

ナカダ・ルデーニャ・バイロン・ジョナタン容疑者の兄ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャの経歴

ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャは、ペルー全土を震撼させた連続殺人事件の犯人として、その素性はこれまでさまざまな海外メディアで報じられている。

 

ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャは、1973年2月28日、首都リマに生まれた。

4歳の時から家族による性的虐待を受けていた彼は、5歳の時に動物を殺しはじめる。牛や馬が苦しみながら死ぬ様子を見ては、快感を覚えていたという。また、一番上の姉から女装を強要されたり、アルコール中毒の父親は母親に暴力を振るうなど、家庭環境は劣悪だったようだ。

1990年、ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャはペルー軍に入隊するも、2カ月で除隊処分となる。それは「神の命令が聞こえる」と漏らす彼を、軍の精神科医がサイコパスと診断、「社会の脅威である」と判定した結果だった。しかし除隊後の彼は治療を受けることなく、急激に自滅的になっていったという。

 

その後、「薬物中毒者、売春婦、同性愛者、泥棒などを街から消し去るように」という神の声が聞こえるようになったペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャは、自らを崇高な任務を負った「死の使徒」であると考えるようになり、連続殺人鬼へと変貌を遂げる。

軍隊で火器の扱いを習得していた彼は、スリッパで作った手製のサイレンサーを装着した9mm拳銃を用いて犯行に及んだ。

1990年から2006年12月28日に逮捕されるまで、25人が殺害されたと考えられており、20人の殺害を自供しているというが、後の裁判で殺人が立証されたのは17人に留まっている。

ちなみに、逮捕時に警察が突入した際は銃撃戦となり、巻き込まれた1名が負傷したという。

 

 

 

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