オウム真理教の早川 紀代秀について調べてみた。
早川 紀代秀(はやかわ きよひで、1949年7月14日 – 2018年7月6日)は、元オウム真理教幹部。元死刑囚。ホーリーネームはティローパ。教団内でのステージは正悟師で、省庁制が採用された後は建設省大臣だった。麻原の信頼が厚く、裏のトップといわれた。
早川紀代秀 生い立ち 出身地、実家
兵庫県川辺郡東谷村(現・川西市)に生まれる。
その後大阪府堺市に転居し、大阪府立三国丘高等学校を経て神戸大学農学部に進学後、大阪府立大学大学院では緑地計画工学を専攻。学生運動にも参加し公安にマークされていた。
修了後、鴻池組に勤務。1979年11月結婚。1980年に退職する。
社会人時代から、『幻魔大戦』などのSFや超常現象に次第に傾倒していき、1984年、阿含宗に入信。
その後麻原の著作に共感を覚え、1986年4月にオウム神仙の会に入会し、1987年11月1日に出家。
オウム以前の早川に対する評判は「いいやつ」「頭が良い」「ノンポリ」「口数少ない」など様々。
オウム時代は 温厚で頼れる存在だが、感情の起伏が激しく、怒ると怖いとの評判であった。
自身より階級が高い正大師の上祐史浩に「何やっとんかマイトレーヤ!!」と怒鳴る、麻原彰晃すら叱る(麻原との最初の出会いのときにも時間に遅れた麻原に怒っていた)など、裏のNo.2と言われるだけの影響力を持っていた。チョコレートなど甘いものが好き。
早川紀代秀 ゼネコン、鴻池組
早川紀代秀は、生い立ちで述べた通り、ゼネコンの鴻池組出身です。
早川紀代秀はロシアをしばしば訪問
早川は、熊本県波野村の国土利用計画法違反事件で逮捕され、住居制限と教団関係者との接見禁止を条件に保釈されている(1992年夏に解除)。
保釈中も教団幹部として数度ロシアを訪れ、度重なるロシア訪問でロシア政府高官とパイプを築いた。
オウムはロシアではステータスの高い団体であったので、世間で言われているように裏社会に強かったということはなく、AK-74自動小銃を入手するのにも苦労し、見かねたロシア人通訳が手配してくれたという。
他にも1994年6月1日に旧ソビエト連邦製の30人乗り大型ヘリコプター「ミル17」やLSDの原料をロシアから購入した。
早川紀代秀は福岡拘置所で死刑執行
ウム真理教による一連の事件の確定死刑囚で、東京拘置所から移送された7人のうち、早川紀代秀死刑囚(68)が3月15日午後、福岡拘置所に到着しました。
そして、7月6日に死刑が執行されました。
68歳没。
早川紀代秀の遺体はどこへ?
裁判中にすでに洗脳は解けていました。
早川紀代秀の遺体は親族に引き渡されました。
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