1986年頃の駿台予備校 市ヶ谷 講師 学費 学校法人

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独り言

俺は1986年4月から1987年3月まで駿台予備校の市ヶ谷校に通っていた。

1980年代、1990年ぐらいまでに駿台に通っていた人には共通する話題だと思う。

思い出せるだけ思い出してみる。

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駿台予備校とは

三大予備校っていう言葉があって、駿台はその一つ。

三大予備校(さんだいよびこう)とは、日本国内の大学受験界において駿台予備学校、河合塾、代々木ゼミナールの3つの予備校を指す言葉である。

 

お茶の水が中心地だけど、東京には市ヶ谷とか四谷にも校舎があった。

 

1986年当時は、「生徒の駿台、机の河合、講師の代ゼミ」とか言われていたな。

駿台は生徒のレベルが高くて、東大とか医学部行くなら、駿台って言われていた。

生徒数は多くて1クラス200名ぐらい。

生徒同士の交流は席の近い人ぐらいであまりなかった。

あと、模擬試験も難しかった。

 

少子化の今は、浪人生が激減して予備校ビジネスは難しくなっている。

今は、代ゼミが縮小して代わりに東進が躍進しているのか。

学費、授業料

一年間浪人したけど、当時の学費が35万円ぐらいだったと思う。

三大予備校としては安い方だと思う。

ただし、1クラス200名だし、超マスプロ教育と言われていた。

大教室に人をたくさん入れて稼ごうって仕組みだね。

当然、先生との特別な交流はなく、先生も各生徒の名前を認識していない。

中山寮

千葉県市川市の下総中山に中山寮っていう学生寮があった。

4人部屋でとにかく酷かった。

メシはまずいし、設備は古い。夏は暑くて眠れたもんじゃない。

俺は最初はここから通っていたが、4人部屋で他の3人とは合わずに5か月で出た。

ハッキリ言って設備も古くて酷かったので、思い出はない。

勉強するのに適切な環境ではなかった。

当時の部屋の2人は旧帝大の医学部を出て医者になっているらしい。

 

この寮はすでになくなっているらしい。

http://blog.livedoor.jp/nama_j/archives/1239182.html

 

 

中山寮を出てからは、茗荷谷にあるアパートに住んだ。

市ヶ谷校、校舎

市ヶ谷校は医学部を目指す学生のための校舎だ。

当時は事務方の女性が愛想が悪いので有名だった。

確か800人ほどの学生が200名ずつのクラス分けで成績順にA組、B組、C組、D組になっていたと思う。

俺は1学期はC組だったけど、2学期と3学期はB組だった。

このレベルだと東大や京大の医学部には入れないが、地方の国公立の医学部には入れるぐらいのレベルだ。

 

駿台予備校の校舎はお茶の水が中心だった。

大阪とか名古屋とか地方の大都市にも校舎があった。

模試

駿台模試は難解で、ハイレベルな高校生が多く受ける。

ゆえに難関校の合格判定は正確だ。

ただし、駿台生に有利になっている。なんでかというとテストの内容がテキストに似通っていたり、先生が模試の内容をほのめかしたりするだ。

夏期講習

夏休みは、別料金で夏期講習がある。

浪人生の場合、夏期講習を受けるメリットは少ないと思う。

地方の高校性なんかは、駿台の授業や有名講師の授業を体験するために受けに来るようだ。

講師陣、先生

駿台には有名な先生も多い。

講師陣を思い出せるだけ思い出してみよう。

数学 秋山仁

数学の先生。

当時から有名で人気がある先生だった。

かなりの毒舌。

海外の大学に留学していたせいか、英語をよく用いていた。

専任講師でなくて、アルバイトだったので専任講師、特に3Nをよく批判というか笑いのネタにしていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/秋山仁

数学 野澤悍

数学の先生。

3Nの一人。

数学 中田義元

数学の先生。

字が小さかったな。

3Nの一人。

https://ja.wikipedia.org/wiki/中田義元

数学 根岸世雄

数学の先生。

3Nの一人。

https://ja.wikipedia.org/wiki/根岸世雄

数学 長岡亮介

数学の先生。

https://ja.wikipedia.org/wiki/長岡亮介

数学 大矢建正

数学の先生。

少し地味。

英語で OYA と書くと「オヤ」と読まれるし、OHYA と書くと 「オヒャ」と読まれるとか。

142857という巡回数を教えてもらった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/142857

数学 宮原

数学の先生。

数学 阿部雄二

数学の先生。

英語 伊藤和夫 (死因は?)

英語講師のドン。

授業そのものはボソボソとしゃべる感じ。

『基本英文700選』、『英文解釈教室』、『ビジュアル英文解釈』など、難関大学受験生の必読書とされた英語参考書を上梓し、「受験英語の神様」、「受験英語界の巨人」とも呼ばれた。

当時の東大・京大・医学部を目指す受験生では知らない人はいないぐらい有名だった。

 

「英文解釈教室」が特に有名。

https://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤和夫

1997年に70歳で死去。

死因は不明。

英語 筒井正明

英語の先生。

英文解釈というか長文和訳の先生。

授業形態としては前以て生徒に黒板に訳を書かせて添削するスタイルもとっていた。

師の授業は行間を読むセンスを鍛える授業であった。

口が悪い部分もあったが、人間味があり受講生の心を打ち感動する者も少なくなかった。

通期の英文解釈教材CHOICE (チョイス)は、特に名講義として名高かった。

『大学入試 英文解釈 その読と解(駿台受験叢書→駿台受験シリーズ)』(駿台文庫、1987年 絶版)で、その講義の一端を垣間見られる。

最終講義の録音テープを金澤貴之群馬大学教育学部教授が所有しているとか。

英語 奥井潔

英語の先生。

習っていないけど人気だったな。

https://ja.wikipedia.org/wiki/奥井潔

英語 山口紹

英語の先生。

確か英作文だった。

最後の授業で初恋話を披露してくれた。

伊藤和夫氏の弟子って感じで伊藤和夫を適当にネタにしていた面白い先生だった。

1947年生まれなので、当時39歳ぐらいだったのか。独身だった。

収入の話になった時に、同級生で僕ぐらいもらっている人はいないと言っていた。

多分、年収1500万円か2000万円ぐらいだったのか。

英語 佐藤治雄

英語の先生。

カマキリみたいな顔をしていたかな。

授業は鋭くて面白かった。

英語 濱名政晃

英語の先生。

派手さはない先生。

英語 足立勝友

英語の先生。

国語 藤田修一

現代文の先生。

「現代文入門―記号でつかむイイタイコト」 (駿台受験叢書)という書籍でも有名。

 

本当か嘘か、女生徒に対して性的にやらしい先生だったとか。それが原因で過去に謹慎になったとかが噂になっていた。

国語 二戸宏羲

現代文の先生。

なんか二日酔いっぽい状態で授業していたのが印象的。

 

中原中也の二日酔いっていう詩をそらで書いて説明してくれた。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。

私は目をつむる、
かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。

頭の中で「千の天使がバスケットボールする」っていうのは、頭痛がするってこと。

じゃあ、頭痛なのになんで悪魔でなくて天使かというと、失恋を忘れさせてくれるから。

不要になったストーブが錆びているっていうので、恋人がいなくなったことを象徴している。

古文 高橋いづみ

古典の若い女の先生。

マドンナ的な存在。

普通のOLが着れないような派手な服を毎回着ていた。

当時はおニャン子クラブが流行っていたけど、おニャン子クラブに出てくる素人アイドルが着ていそうな服を着ていた。

この先生を好きな浪人生もいたが、ハキハキしすぎて、少しきつめの先生だった印象。

 

当時で30才だったのか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/高橋いづみ

その後、1996年に結核菌による胸膜炎で生きるの死ぬのというような大病になったらしい。

漢文 山田勝美

漢文の先生。

https://ja.wikipedia.org/wiki/山田勝美

偉い先生らしいが、当時で77才か。

ユーモアがあったが、耳も遠くて、かなりのおじいちゃんだったと記憶している。

物理 坂間勇

物理の先生。

微分・積分が大好きで、高校物理なのに微積を普通に使っていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/坂間勇

俺が習っていた当時で51歳ぐらいだったのか。

おじいちゃんに見えたけど。

確かあのころ、車の免許を取ったって言っていた。

化学 三国均

化学の先生。

物理の坂間先生と違って基本的なことから教えてくれる。

基礎から教えてくれて分かりやすい反面、頭のいい出来る浪人生には不評だった。

化学 小倉勝幸

化学の先生。

凄く背が低い。

黒板の板書をノートに書くと怒られる。小倉先生曰く、聞く時間で書く時間でないと。

物理の坂間勇師を尊敬していて、小倉師も板書は少なかった。

本質的な「考えさせる化学」で、公式への機械的代入を禁止していた。

状態方程式や中和の公式は使わない方針だった。

テキストの問題も順番通りには解説しなかった。

当時のテキストは、三國均師が編集していた。

理論分野(化学計算)に定評があったが、有機分野も説明が巧かった。

特設単科講座「化学・小倉講座」では午前部や高3の最上位クラスよりも教材・内容ともレベルの高い授業を行っていた。

世界史 富田

世界史の先生。

髭を生やしていてユーモアのある先生だった。

 

 

 

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