オウム真理教の岡﨑 一明について調べてみた。
岡﨑 一明(おかさき かずあき、1960年10月8日 – )はオウム真理教元古参幹部。確定死刑囚。ホーリーネームはマハー・アングリマーラ。岡﨑の読みは「おかざき」ではなく、「おかさき」である。教団が省庁制を採用する前に脱走したため、役職はなし。
岡崎一明の生い立ち
1960年、山口県生まれ。
岡﨑家の次男として未熟児で生まれ、10か月後に、実母が養育放棄で失踪。残された実父はその1年後、一明を佐伯家へ養子に出して(2歳3ヶ月)再婚。岡﨑は、実母が消えたショックで4歳頃まで言葉の発達が遅れ、飼い犬とよく遊んでいた。その頃、流行歌のワンフレーズを養父母の前で歌い、絵を描くのが好きだった。
中学生の時、友人の紹介でキリスト教のプロテスタントの宣教師(ドイツ人女性)に会い、教会の日曜学校に通い始め、聖書を学ぶ。夏の合宿にも参加したが、転校で縁が切れる。 中学3年のとき親子喧嘩で養父に「せっかく息子が勉強してるのに」と言ったところ、「うるさい。お前は息子じゃない。他人からもらった子だ」と言われ一明が実子でないことを打ち明ける。こんな貧しい家より孤児院のほうがましだ、とも思った。
その後、山口県立小野田工業高等学校工業計測科(現・電子計測科)に入学。高校の学費は奨励金で賄い、剣道部の部長となり、日曜日はゴルフのキャディーや遊園地のアルバイトや土方をやりながら、その収入で身の回りの生活用具をそろえ、養父母にタバコ銭も上げていた。
高校卒業後、会社勤めをしている時に、オウムと出会って入信。
麻原、そして教祖の愛人で「女帝」と呼ばれた石井久子に続いて、3人目の「成就者」となるなど、幹部として活動していた。
1990年2月18日執行の第39回衆議院議員総選挙に真理党候補として東京11区から、佐伯一明の名で出馬、落選する。宗教の政治参加やこれまでの悪事に疑念を持ち、選挙運動中の2月10日に突然、3億円の現金を持ち逃げして教団を脱走しました。
岡崎一明は塾を経営?
オウム脱退後は故郷の地元山口県宇部市で学習塾を開いていました。
岡崎一明と飯田エリ子の関係
オウムの女性幹部であった飯田エリ子と岡崎一明(佐伯一明、宮前一明)とは岡﨑がオウムを脱会するまで、恋愛関係にありました。
岡崎一明は結婚しているか?
1995年3月の地下鉄サリン事件のあと、1995年4月、神奈川県警の刑事が再び接触してきたため、岡崎はついに在家信者死亡事件、坂本弁護士事件、男性信者殺害事件の犯行を自供した。
取り調べ期間の途中、交際していた中国人女性と結婚するため4月29日~5月9日の間中華人民共和国へ渡航している。
そのため、結婚していると見られています。
岡崎一明は名前を宮前に改名
出生時の姓は岡﨑。
幼少期~オウム時代の姓は佐伯。
逮捕時の姓は岡﨑。
現在の姓は宮前。
岡崎一明はスパイか?
岡崎一明は1990年2月に教団から脱走しますが、スパイかどうか、疑われなかったのでしょうか?
実は、スパイに関する事件は、1994年7月10日に発生したオウム真理教による男性信者リンチ殺人事件(だんせいしんじゃリンチさつじんじけん)というのがある。
オウムがスパイに神経を尖らせ始めたのは1994年以降であり、岡崎一明がスパイと疑われることはなかったようです。
ちなみに、1994年9月、松本サリン事件はオウムの仕業であるという怪文書が警察の間で出回った。
この時はまだ半信半疑で重要な情報という扱いではなかった。
オウムには公安当局の潜入スパイも潜り込んでいるといわれており、スパイがらみの報告書ではないかとの噂もあった。
宮前一明の絵
岡崎一明は子供の頃から絵を描くのが好きだった。
獄中から絵を発表し続けています。
↓岡崎一明の描いた絵はコチラ
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